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今回は、伝説の8人組HIP HOPグループ「BAD HOP(バッドホップ)」についてです。
昨年、ヒップホップグループとしては初めての東京ドーム公演を行い伝説になりました。
そんな彼らはなぜ解散してしまったのか?
この記事ではバッド・ホップの解散理由を見ていこうと思います!
バッドホップについて気になるかたはぜひ最後までお読みください!
バッドホップの解散理由とは
バッド・ホップの解散理由を要約すると、上記3点になると思います。
1つは27クラブへの意識、2つ目はラッパーのあるべき姿への回帰、3つ目は目的を達成し新たなスタートです。
それぞれ確認してみましょう!
「27クラブ」への意識
1つ目の理由は27クラブへの意識です。
少し解説すると、27クラブとは「伝説のアーティストは27歳で死ぬ」という概念です。
ブラインジョーンズ、ジミヘンドリクス、ジャニスジョプリン、ジムモリソンが相次いで27歳で亡くなったことからこの概念ができました。
音楽家であればこれは意識せずにはいられないでしょう。
バッドホップのメンバーも27歳には少なからず意識があったようです。
27歳と言うのは一つの活動の集大成を迎えるのに良いタイミングなのかもしれませんね。
例えば、バレー女子の古賀紗理那さんは28歳、パリ五輪を最後に現役を退くことを発表されました。
また、2015年のラグビーワールドカップで有名になった福岡堅樹さんも28歳で現役引退し医師となるべく医学部に進学しましたね。
このように、27歳前後に新しいことを始める方が多いようです。
ちなみにメンバーの生年月日がこちら。
- T-Pablow 1995年11月3日(29歳
- YZERR 1995年11月3日(29歳
- Tiji Jojo 1996年2月12日(28歳
- Benjazzy 1994年10月19日(30歳
- Yellow Pato 1995年4月18日(29歳
- BARK 1995年9月20日(29歳
- G-k.i.d 1995年5月2日(29歳
- Vingo 1996年1月5日(28歳
ラッパーのあるべき姿への回帰
2つ目の解散理由は「ラッパーのあるべき姿への回帰」です。
彼らは、言うまでもなく日本のラップシーンを牽引してきたのですが、そのあるべき姿として、アメリカのラッパーをお手本にしていました。
アメリカのラッパーは一人一人が「クルー」と言う考え方で、それぞれが1人で活動をしていて、作品のために集まるそのような形態です。
しかし、BAD HOPの反響が大きく、グループとしての活動が主な活動になっていきました。
ソロでやろうと考えていたことをBAD HOPの中でやるようなことも起こっていたそうです。
つまり、目指していた「クルー」ではなく「グループ」になっていました。
今回の解散はラッパーのあるべき姿、「クルー」への回帰が2つ目の理由です。
目的の達成、新たなスタートへ
3つ目は、目的を達成し新たなスタートを切るためです。
彼らには目的がありました。
それは、ヒップホップシーンを大きくすることでした。
彼らが始めた当時はラッパーが武道館でライブをやるなんてことは考えられませんでした。
他のカテゴリの音楽に比べるとマイナーだったわけです。
そのヒップホップシーンを大きくする、それが彼らの活動の目的だったのです。
その目的は、東京ドーム公演と言う申し分ないゴールによって達成されました。
そして、新たなスタートを切るために彼らは解散を決断したのです。
これが、3つ目の理由です。
彼らの行動を見ているとある格言を思い出しましたので紹介します。
この世で重要なことは、自分がどこにいるかではなく、どの方向に向かっているかだ。
オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニア(19世紀のアメリカの作家、医師)
なお、この記事は彼らのインタビューを要約したものです。
フル動画をアップしておきますのでお時間のある方はどうぞ。
まとめ
ここまで伝説のヒップホップグループ、BAD HOPについてみてきました。
彼らの解散理由は、27クラブへの意識、ラッパーのあるべき姿への回帰、目的の達成し新たなスタートを切るためでした。
新たな活動へのスタートを切った彼ら。
その活動の中で、8人がまた交差し再集結することはあるのかもしれません。
今後の彼らの動向を楽しみにしていいます!
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。
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